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 ロシア旅行 サンクトペテルブルグ着
 少し前にはよくトラブルのあったモスクワ空港での乗り継ぎも、最近ではかなり改善されわかりやすくなったようです。バッゲジも、成田で手続きをすれば自動的にサンクトペテルブルグまで届けられるようになったので、モスクワ空港で確認する必要はないということです。

とは聞いても、やはりモスクワ空港でサンクトペテルブルグに乗り継ぐのがスムーズに行くかが不安でした。
実は、昨年、私どもはパリ経由でスペインの首都マドリードにいきましたが、その際の乗り継ぎにはかなり苦労したからです。また、マドリード空港ではトランクが受け取れず、次の日になってやっとトランクがホテルに届けられました。

しかし案ずるより産むが易しで、今回は飛行機を降りたところに案内人が待っていて、乗り換えの窓口まで連れて行ってくれました。その後、国内航空の空港に専用バスで移動し、やはりアエロフロート機でサンクトペテルブルグに向かいました。

サンクトペテルブルグ着

 今度の飛行機は、ロシア製のツポレフ154というジェット機でした。旧ソ連時代に開発された中型旅客機で、上の写真のように3基のエンジンを尾部に集中装備しています。
現在でも旧ソ連圏諸国では多数使用されており、日本にはシベリア東部諸都市から新潟空港への便に就航しています。

その後帰国してから、このツポレフ154という飛行機は非常に事故率が高いので評判が悪いと聞き、そのような飛行機を平気で飛ばしているロシアの国内航空事情にはあきれました。

それでも今回のツポレフ154は正常に飛行してサンクトペテルブルグ空港には一時間ほどで到着しました、

サンクトペテルブルグ着

 サンクトペテルブルグ空港を出て契約しておいた送迎車に乗り、小一時間で市内のホテルに着きました。

ホテルはサンクトペテルブルグを流れる大河ネバ川の支流に面した景勝の地にあり、目の前にロシア革命の端緒となったので有名な巡洋艦オーロラ号とペトロパブロフスク要塞が見えました(上の写真)。

この時期は極北の地サンクトペテルブルグは白夜の季節で、日没は夜11時ごろということでした。眠れないので、部屋のカーテンを引いて、明日の市内観光の調べ物をしました。

        旅初日         人気blogランキングへ
           古都の白夜に
              寝つかれず


海外旅行 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/06/03(土) 06:46)

 東京モスク (3)
東京モスク

 私の家から遠くない小田急線沿線の代々木上原に 「東京ジャーミー」 というモスク(イスラム寺院)があるのを知りました。
東京ジャーミーはトルコ共和国の援助のもとに建立された日本最大のモスクで、東京モスクとも呼ばれます。

東京モスクの礼拝所は直径11m、高さ27mの大ドーム建築で、その尖塔の高さは41mもあります。礼拝所に入ると、大ドームの天井から巨大なシャンデリアが下がっていました(上の写真)。

礼拝所のドームの高いところには明り取りの窓が多数設けられていますが、そこにはステンドグラスが付けられていて、春の日差しを受けて明るく輝いていました。

礼拝所の中がかなり明るいこともあり、この礼拝所のステンドグラスはカトリック教会のステンドグラスのような重々しくドラマチックな色調ではなく、春の青空のように軽快でさわやかなトーンでした。

        春日射す      人気blogランキングへ
           スレンドグラス
              空の青

イスラム教の開祖はモハメットですが、モハメット個人が信仰の対象となっているわけではありません。モハメットに対するアラーの神の啓示を文章にした「コーラン」のみが、イスラム教にとって絶対の聖典です。モスクの中には、モハメット個人の像や絵姿はまったく見られません。

やがてお昼の祈祷の時間になり、私どもは礼拝所の最後部にあるじゅうたんの上に座ってイスラム教の祈祷を見学しました。

導師によるコーランの朗詠が始まりましたが、それはどこかカトリックのグレゴリオ聖歌に通ずる荘厳な朗詠でした。


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(2017/05/30(火) 06:39)

 京都 ・ 金閣寺
金閣寺

 京都の桜の名所平野神社でさまざまな桜を楽しんでから、そう遠くないところにある金閣寺に向かいました。
平野神社からバスで2停留所ぐらいということで、ぶらぶらと歩いてもいける距離ですが、せっかく京都市バスの一日券を買ったので、その元を取ろうとバスに乗っていきました(^_^)

金閣寺は、もともと足利三代将軍義満がつくった別邸でしたが、義満の死後、その子義持により禅寺とされ、義満の法号にちなんで 「鹿苑寺」 と呼ばれるようになったそうです。

三島由紀夫の小説で知られているように、金閣寺は太平洋戦争後の昭和25年に寺僧の放火により焼失しましたが、その後関係者の努力により昭和30年に再建されました。1994年には、金閣寺は古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

バス停のすぐ近くにある山門をくぐり、長い参道を歩き始めると、さすがに世界遺産らしい堂々たる寺格を感じます。
禅寺だからでしょうか、境内には桜の木がほとんどなく、かえでなどの落葉樹が多いようです。私どもがいった4月はじめには、それらの木々はまだあまり芽を吹いていませんでした。秋の紅葉のときは、さぞかし見事な景観になることでしょう。

参道をしばらく進むと、急に目の前が開け、大きな庭池の向こう岸に金色まばゆい三層の金閣が見えてきました。
大昔、修学旅行でここに来たはずなのですが、まったく記憶がなくなっていました。幸い快晴に恵まれ、鏡湖池という池のほとりにそびえるきらびやかな楼閣に目をうばわれて、ただ感嘆するのみでした。

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           金閣照らす
              春陽かな

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(2017/05/26(金) 06:45)

 玄海原発再稼働へ
 今年3月の大阪高裁の判決を受けて高浜原発3号機、4号機の再稼働が決まりました。5月初め、まず高浜原発4号機が再稼働し、現在営業運転に向けて次第に出力を増加しつつあります。

次いで、九州北西部にある玄海原子力発電所が原子力規制委員会の審査に合格し、地元玄海町の議会、佐賀県議会でも再稼働が承認されました。あとは佐賀県知事の同意があれば玄海原子力発電所の再稼働が動き出すことになります。

火力発電所

 4月24日、佐賀県の山口祥義知事は同県庁で記者会見を開き、九州電力玄海原子力発電所3、4号機(佐賀県玄海町)の再稼働に同意する考えを表明しました。

記者会見で山口知事は次のように述べました。
 熟慮を重ねた結果、将来は原子力発電に頼らない社会をつくるという強い思いを持ちつつ、現状においては再稼働はやむを得ないと判断した。

我が国のエネルギー事情を考えたとき、現状では火力発電がフルパワーで稼働していて環境汚染などの問題も聞かれる中で、総合的に判断した。

世耕弘成経済産業相に電話で再稼働同意を伝達したが、その際先に国側が示した原発政策の実行に加え、自然エネルギーの普及促進を改めてお願いした。
現在我が国では、大多数の原発が稼働を停止しているなか、主として石油、天然ガスを燃焼させる火力発電所によって私どもの生活に必要な電力をなんとか供給しています。

中には建設後50年以上も経った旧式の火力発電所もあるそうで、それらから排出されるCO2その他による環境汚染を指摘する声もあります。

玄海原発

 上記佐賀県山口知事の決定は、佐賀県民83万人の安全、環境汚染の防止、そして原発が再稼働することの地元経済への効果などを総合的に判断したものでしょう。

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          論議こもごも
             はや夏日


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(2017/05/22(月) 07:37)

 京都の町屋
京都の町屋

 久しぶりに京都に旅行し、西本願寺、東本願寺を参拝したのち京都駅に向かって歩きました。京都駅の近く、東本願寺界隈には千年の歴史を感じさせる仏具店や古い町屋がたくさんあります。

それらを眺めながら歩いているうちに、道路沿いの家並みが途切れて駐車場になっているところに出ました。そこにきて駐車場側から見て、はじめて京都町屋の奥行きの長さがわかりました。
その家は間口は3間ほどしかありませんが、まさにうなぎの寝床のように、隣の広い駐車場と同じだけ奥に伸びていました。

上の写真でわかるように奥に向かって伸びる町屋の屋根が途中で一部低くなっていますが、その部分に坪庭が造られてあるのでしょうか。なにしろこの奥行きの長さですから、中央部に坪庭を設けて採光したり外気を取り入れたりしたくなるのでしょう。

商家の町屋の場合には、長い建物のもっとも奥に土蔵が置かれている例が多いということです。家の道路側正面からその奥の土蔵に向けて幅の狭い通路が設けられ、人の出入りや商品の出し入れができるようになっていました。そういうつくりを 「通り庭」 と呼ぶそうです。

このような坪庭を設けたつくりが京の町家にみられるようになったのは、桃山時代に茶の湯が流行したことに由来するということです。坪庭の側に茶室をつくり、坪庭の中にに四季の移ろいを感じながらゆったりと茶を楽しんだのでしょうか。

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           長き町屋の
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(2017/05/18(木) 06:46)

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