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 井伊直弼生誕200年
井伊大老

 井伊直弼は、文化12年(1815年)10月29日に彦根藩主井伊直中の十四男として彦根城で生まれました。

1832年に父直中が没した後は、彦根城三の丸の小さな屋敷に移り、扶持300俵の部屋住みとなりました。直弼は、「埋木舎(うもれぎのや)」と命名したその家(上の写真)で17歳から32歳までの15年間を不遇の生活をしましたが、その間熱心に茶道、和歌や鼓、禅、兵学、居合術を学んで精進に努めたということです。

ところが弘化3年(1846年)、第14代藩主で兄の井伊直亮の世子であった井伊直元が死去したため、直弼は兄の養子という形で彦根藩の後継者になりました。1850年、直亮が死去したため、直弼は家督を継いで彦根藩の藩主となりました。彦根藩主時代は藩政改革を行い、名君と呼ばれたそうです。

井伊大老 幕末の1853年、ペリー提督の率いるアメリカ艦隊は、三浦半島の久里浜に上陸して開国を要求しました。
黒船来航の直後、将軍家慶が死去した混乱の中、井伊直弼は大老に就任しました。

当時としては珍しく世界の情勢に通じていた井伊直弼は、日米修好通商条約を締結して開国することを主張し、尊皇攘夷派と鋭く対立しました。

直弼は、安政の大獄で反対勢力を強圧し、日米修好通商条約の調印を強行しましたが、その2年後の1860年に雪降りしきる江戸城桜田門外で水戸浪士に襲われ、46歳の生涯を閉じました。

直弼の遺骸は、私の家から歩いて20分ほどのところにある禅寺豪徳寺に埋葬されました。現在の世田谷区地域は、江戸時代には彦根藩世田谷領になつていて、豪徳寺は井伊家の江戸菩提寺だったのです。

将来に夢も希望もない部屋住み時代に直弼が詠んだ和歌です。

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           よそに見つつもうもれ木の
              埋もれておらむ心なき身は

本2015年は、直弼誕生後200年、日米集光条約締結後150年の節目にあたります。彦根市では、2015年7月から直弼が生れた10月29日にかけて 「直弼公生誕200年祭」 を開催しているそうです。

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(2015/10/12(月) 07:35)

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