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 甘藷先生の墓
目黒不動尊

 東急目黒線不動前駅の近くにある目黒不動尊は、古くから浅草の浅草寺と並んで東京の庶民信仰の中心になっています。

昔から「目黒不動尊」と呼ばれているのは、泰叡山瀧泉寺(りゅうせんじ)という天台宗のお寺の不動堂です。江戸時代以降、庶民の間に不動信仰が盛り上がり、瀧泉寺の不動堂に行楽を兼ねて参拝する人が大変多くなりました。現在では、瀧泉寺というお寺の名前より「目黒不動尊」のほうがはるかに有名になっています。

甘藷先生の墓 不動堂の裏、市街を見下ろす丘の上に、かなり広い墓所があります。その中に、「甘藷先生」として有名な江戸時代の学者青木昆陽の墓がありました。

青木昆陽は、元禄11年(1698年)生まれで江戸時代中期に活躍した儒学者、蘭学者です。当時の南町奉行大岡忠相に取り立てられ、幕府書物の閲覧を許されました。

江戸幕府8代将軍徳川吉宗は、飢饉の際の救荒作物として西日本では知られていた甘藷(現在のサツマイモ)の栽培を昆陽に命じ、小石川薬園(小石川植物園)、現在の千葉市花見川区幕張、現在の千葉県山武郡九十九里町で試験栽培させました。
この結果、享保の大飢饉以降、関東地方や離島でサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったとされます。

昆陽は、享保20年(1735年)に農書 『蕃薯考』(ばんしょこう) を発表しましたが、その中で救荒作物として有用な甘藷(かんしよ)の性質・栽培法などを詳しく記述しました。

昆陽は、のちに評定所儒者となり、オランダ語の習得に努めました。昆陽の弟子には『解体新書』で知られる前野良沢がいます。昆陽は明和6年(1769年)流行性感冒により死去しました。享年72歳でした。

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           甘藷の学者
              眠る墓

目黒不動尊では、毎年10月28日の縁日には、昆陽の10月12日の命日を偲んで甘藷まつりが開かれ、多くの参拝客でにぎわいます。

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(2015/09/18(金) 07:11)

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