実りのときブログ
日記・ブログ人気ランキング
  >> ホーム
  >> RSS1.0
プロフィール

yuuhei

Author:yuuhei
海外・国内旅行・美術
文学・俳句・音楽・写真

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

 天災は忘れたころに来る
天災は忘れたころに来る

 夏目漱石の小説 『吾輩は猫である』 で苦沙弥先生宅に集う多くの愛すべきキャラクタの中に、「水島寒月君」という人がいます。寒月君は学問最高の府を一番で卒業した秀才と書かれていますが、これは漱石の弟子でもあった物理学者 寺田寅彦 をモデルとしたといわれます。

寺田寅彦は実際に東京帝国大理科大学実験物理学科を首席で卒業しました。その後、同大学助教授に就任し、ドイツ留学の後、同大学教授に昇格しました。

1923(大正12)年9月1日、寺田が45才の時に起こった関東大震災は、寺田寅彦の以後の学者人生にも大きな影響を与えました。
もともと地球物理学者、海洋物理学者であった寺田は、震災後震災予防調査会の震災特別委員会委員に任命され、直ちに被災関東地方各地に調査に行って災害の状況をつぶさに記録しました。

東京市本所にあった陸軍被服廠跡では、震災時の火災に伴って発生した大旋風によりそこに避難していた4万4000人の命が失われましたが、寺田はその場所にも行き、火災旋風のメカニズムの調査を行ったということです。

大震災の翌1924年5月、寺田は大震災による被害の報告書「大正大震火災誌」を発表しました。それに 『地震雑感』 という一文が収められていますが、その文中で寺田は地震による災害が多岐にわたること、物理現象としての地震はきわめて複雑であることを指摘し、多くの専門学者たちの協力が不可欠であると説いています。
震災後、東京帝国大学教授会で地震学科と地震研究所の設立が決定されました。大震災から3年経った1926年に地震研究所が発足し、寺田もそれに加わりました。

寺田寅彦は過去にそれぞれの地方に起こった大津波について研究し、将来かならずまた襲ってくる大津波に対して備える必要があると説いて「天災は忘れた頃にやってくる」と語ったそうです。

今回の東日本大地震でも私どもは寺田の言葉が正しかったのを思い知らされました。そして今後数十年あるいは数百年のうちに、大地震・大津波は確実にまたこの国を襲ってきます。

        震災忌        人気blogランキングへ
           90年の
              重み胸に

IT ・ 防災 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/09/09(火) 07:20)

<<過去の大震災に学ぶ | ホーム | デング熱怖し>>

コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら
http://minorino.blog31.fc2.com/tb.php/374-e34551c1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

copyright © 2005 実りのときブログ all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. / PHPウェブログシステム3 / ネットマニア