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 エアコンの消費電力
消費電力
 東日本大震災後の原発の全停止から4年あまり、現在も全国的に電力がひっ迫しており、特に原発依存度の高い関西電力管区ではこの夏の電力供給に不安があります。

私どもは、この2016年の夏も合理的的な「節電」をして少ない電力をやりくりしてすごすほかありません。

上のチャートは、資源エネルギー庁がまとめた真夏午後2時ごろの消費電力の内わけ(全世帯平均)を示すグラフです。

これを見ると、まずエアコンが消費する電力がなんと全体の半分以上を占めているのがわかります。この夏を乗り切るには、このエアコンの消費電力をなんらかの方法で節減する必要があるのです。

最近のエアコンは技術が進んで消費電力は10年前のエアコンの半分くらいになっているということです。旧型エアコンを新型機に交換することで、全体の消費電力が大幅に節減できると思われます。

私の家では、故障したエアコンを新型機に交換した結果、2年ほど前にすべて消費電力の小さい新型機になりました。しかし、近所の家の室外機を見ると、世の中ではまだ旧型エアコンが多数使用されているように思われます。また、街のレストランや商店に入ると、古いエアコンをまだ使用しているところが多いようです。

だいぶ以前のことですが、排ガス規制により基準に合わない古い自動車を年限を決めて利用を停止したことがありました。それと同じように、低金利融資や税制措置などの優遇策を講じて旧型エアコンを新型機に交換してもらう施策はとれないでしょうか。

ともかくこの夏も、資源エネルギー庁が提案しているように、日中はエアコンの設定温度を2度上げたり、エアコンのフィルターを清掃したりという地道な努力をみなで行うほかありません。

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          準備をしつつ
             夏憂う

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(2016/05/31(火) 07:06)

 東京スカイツリー・開業4周年
スカイツリー
 東京の新シンボル東京スカイツリーは、2008年7月から建設工事が始まりました。

私は、千葉の実家に毎月一回帰っているので、途中通るJR錦糸町駅の高架ホームから毎月スカイツリーの建設工事の進行状況を撮影してきました。

次第に進行する新タワーの建設工事を駅のホームから遠望しながら、東京の新名所がここに生まれつつあるのを実感していました。

2012年にタワー本体が完工した後もライトアップ工事や一部テナント工事などが継続して行われ、2012年5月22日についに全面的に開業となりました。それ以来、この5月22日で4年が経過しました。

上の写真は2012年4月の末に撮影したものですが、開業を控えてタワー全体の清掃をしたようで、銀色の塗装が朝日に映えて空高く輝いていました。さすがに634mの高さは圧倒的で、塔の最上部は錦糸町駅ホームの屋根にかかってしまい撮影するのがやっとでした。

オープンした東京スカイツリーの展望台からは、東京一の高所から360度にわたる景観が楽しめます。450mの高さにある第2展望台への入場料は大人3000円だそうで、値段のほうも少々お高い気がしますが、一度は上ってみたいと思います。

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          夏雲抜いて
             そびえ立つ

東京スカイツリーのウェブサイトによると、展望台 「天望デッキ」 (350メートル)の来場者が昨2015年11月末で2000万人を突破したそうです。2012年5月22日の開業から約3年半で、日本人の6人に1人にあたる客がこの展望台からの眺望を楽しんだことになります。

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(2016/05/27(金) 07:22)

 簡易電池チェッカー
電池チェッカー
 乾電池を多数使用していると、電力が消耗して白熱球の懐中電灯など大電力用には使えなくなった乾電池が多数発生します。
しかし、それらもLED懐中電灯や携帯電話の電源としてはまだ十分使えるのです。

そこで、現在手持ちの乾電池の残存電力を測定し、まだ使用可能かどうかをチェックする機器が必要になります

最近、インターネットで、簡易な電池チェッカーが100円ショップで販売されているという記事を目にしました。さっそく家の近くにある100円ショップに行き、まず一つを購入してきました。

この電池チェッカーは、上図のように先に小さな電極のついた腕部を広げてチェックする電池の電極に押し当てるようになっています。

チェッカーの内部には2オームくらいの抵抗器が乾電池の負荷になるように接続されており、電池から0.7アンペアほどの電流をとった状態での電池の電圧が測定できるようになっているそうです。

長期間使い込んだ乾電池は、使用時に端子電圧が大きく下落してパワーが取り出せなくなります。この簡易電池チェッカーは、値段が値段だけに少々怪しげなところもありますが、ともかく電池から電流をとった場合の端子電圧を表示できるという点では実用的といえるでしょう。

       地震より        人気blogランキングへ
           五年の春や
              電池備蓄

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(2016/05/23(月) 06:48)

 豪徳寺三重塔 落慶10周年
豪徳寺三重塔
 愛らしい猫が幸運を招いてくれるという招き猫で有名な東京・世田谷の大谿山豪徳寺では、2003年から三重塔の建築を開始し、2006年にようやく落慶に至りました。

2006年5月14日に この三重塔の落慶法要が営まれました。
当日は、朝から豪徳寺に伝わる仏舎利を三重塔に移す儀式、塔内諸尊の開眼法要が行われ、それに続いて三重塔の落慶法要が行われました。

 落慶法要が終了した後は、檀徒、それに続いて私ども一般者も三重塔の基壇に上がりご本尊の釈迦如来像を拝むことができました。ご本尊はまだ木の色も新しい新佛でしたが、やがて風格がついて、この三重塔の主らしいお姿になるでしょう。

また、さすがというべきか、豪徳寺のマスコット 「招福猫児観音像」 と同型の観音像が三重塔の二層目に置かれ、その近くには可愛いらしい子猫たちと鼠たちの像が置かれています。

その2006年の落慶法要から10年、本堂の向かって左側にそびえる三重塔は、完工したばかりのときの新々しい白木からしばらく雨風にさらされて仏塔らしい落ち着いた表情をみせてきました。

        祝10年         人気blogランキングへ
           五月(さつき)の空に
              三重塔

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(2016/05/19(木) 07:15)

 都立園芸高校のポピー
都立園芸高校

 東京都立園芸高校は、東京都世田谷区深沢の広大な住宅地の中にあります。と書くのは、考えてみると話が逆で、昔はこの辺は広大な畑作地域であったのが次第に宅地化し、その中で都立園芸高校だけが昔のままで残っているということでしょう。

校内にはフランス庭園、日本庭園など立派な庭園がいくつもあります。
バラ園の近くに一面に可愛らしいポピーが咲いている畑がありました。

私どもが家庭で栽培すポピーとは品種が違うのでしょうか、どれも花が大きくて立派で、花のたけも私の家のものの2倍ほどもあります。
上の写真の花も、咲き始めたばかりで、花の色が実に鮮やかでした。

        赤黄白         人気blogランキングへ
           ポピー浮かべり
              葉の海に

さまざまな方々がこのブログの姉妹サイト 「実りのとき」 のメールボックスにご感想、ご意見をよせてくださっています。つい最近、この園芸高校の近くに住んでいらっしゃる女性の方からメールが届きました。

どうやら 「実りのとき」 をこの園芸高校のウェブサイトと間違えたようで、「園芸高校の生徒さんたちが、登下校の途中でジュースの缶などを道に捨てて困るので、指導してほしい」 という内容でした。
私どものウェブサイトの名前が 「実りのとき」 なので、都立園芸高校に関係あると思ったのでしょう。

その翌日、この方は本サイトが都立園芸高校とは関係がないのに気がついたらしく、「昨日は見当違いのメールを差し上げて失礼しました」 というメールを送ってきました (^_^)

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(2016/05/15(日) 06:48)

 戸川昌子さん死去
 1923年(大正12年)の関東大震災により都内各所に大きな被害が発生し、その復興のために集合住宅を建設するのが急務となりました。それらの集合住宅は、大震災による被害の教訓から、耐震性、耐火性が高い鉄筋コンクリート造にする気運が強まりました。

大震災の3年後の1926年には、財団法人同潤会によって表参道中央部北側に 「同潤会青山アパート」 が建設されました。

戸川昌子
 当時の先進的な建築家が欧米の集合住宅をモデルに設計したもので、鉄筋コンクリート造3階建て、電気、都市ガス、水道、水洗式トイレなど当時の最新設備を持っていました。

同アパートは昭和のはじめまでに計10棟138戸が建設されましたが、新時代の集合住宅として大変人気が高く入居希望者が殺到したということです。

戸川昌子
 上の写真は2002年ごろの同アパートを表参道ケヤキ並木側から撮影したものです。その時点ですでに築後75年近くなっており、建物は全体に老朽化が進んで建物の壁面には蔦がはい上がって屋上にまで達していました。

同アパートは、現在のアパートと比べると、まずベランダがなく各戸の窓が小さいのがわかります。

 また、同アパートは各階の階段部分が大きく口が開いたように露出されているのが異様に感じられました。

しかしなにしろ都心の一等地なので、同潤会青山アパートの一部は上の写真のようにブティックなどに利用されていました。通りに面した窓には、華やかなショーウィンドウが造られ、当時最新のファッションが飾られているところもありました。

戸川昌子
 上記同潤会青山アパートの建設が始まってから3年経った1929年に、東京都文京区大塚に同潤会唯一の女子専用アパート「同潤会大塚女子アパートメント」が建設されました。

アメリカの近代的アパートをモデルにしたもので、鉄筋コンクリート造5階建て地下1階、電気、都市ガス、水道、水洗式トイレを備えていました。

 当時の物価から見れば、同潤会大塚女子アパートメントは家賃がかなり高額であったにもかかわらず、総戸数158戸の部屋は募集を開始するとすぐに予約で一杯になったそうです。

戸川昌子さんは、太平洋戦争後母といっしょにこの大塚女子アパートメントに入居しました。大手商社の英文タイピストをしていましたが、1957年ごろからシャンソン歌手として銀巴里に出演するようになりました。

銀巴里での出演の合間に楽屋で長編小説を書き、1962年、戸川さん自身が住んでいた同潤会大塚女子アパートを舞台としたミステリー小説 『大いなる幻影』 で第8回江戸川乱歩賞を受賞しました。

翌1963年には小説 『猟人日記』 を発表、直木賞候補となりました。夜ごと女性を漁る日記をつけていた男性に係わる連続殺人事件というストーリーが話題となってベストセラーになり、後に映画化されました。

日本の女性現代推理小説作家のさきがけになった戸川昌子さんは、2016年4月26日に満85歳でこの世を去りました。心より戸川さんの冥福をお祈りいたします。

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           推理作家の
              訃さびしき

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(2016/05/11(水) 07:08)

 馬事公苑・東京五輪準備
 世田谷区の馬事公苑は、馬事に関する知識向上などを目的として昭和15年に開苑しました。馬事公苑には国際級の馬術競技場があり、1964年の東京オリンピックの馬術競技もそこで行われました。

障害馬術競技では人馬が一体となって障害を飛び越えて行きますが、その姿は私ども素人が見ても実に見事です。

また、フィギュアスケートの 「規定」 に相当する定められた内容の馬術の正確さを競う馬場馬術競技もありますが、これも見ているとなかなか味があって面白いものです。

馬事公苑

 馬事公苑は、18ヘクタール(東京ドーム4個分)を超える敷地面積に、さまざまな馬関連施設があるほか、構内各所に各種の桜など四季折々の花々が咲き、多くの人たちに親しまれる憩いの空間になっています。

競技馬場から少し離れた場所にはゆったりとした運動場があり、若駒などを放して運動させています。その馬の上に、運動場の周囲にたくさんある八重桜の花間から洩れた晩春の陽光が踊っていました。

馬事公苑の西洋庭園の奥に、手入れの行き届いた広いバラ園があります。開花したばかりの淡いピンクのバラに目が惹かれました。花の中心部分は、薄い花びらが重なり合って色が濃く見えます。

馬の走路の奥に美しい庭池があります。池のまわりにはしだれ桜、藤、かえで、あやめなどがあり、それぞれ見事な花を咲かせます。

馬事公苑

 公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、東京2020年大会に向けて大会開催基本計画を作成し、同大会の馬術競技をこの馬事公苑で行うことを決めました。

日本馬術連盟によると、1964年東京五輪で使われた馬事公苑の馬場は大きさなどが現在の国際大会の基準を満たしておらず、老朽化した部分もあるため全面的に改修されることになりました。
馬事公苑の改修工事は、来年2017年1月から2019年夏までの予定で行うことが決まりました。

改修工事が行われる間は、馬事公苑は一般人はまったく立ち入れなくなります。従って、馬事公苑の花見は今後2020年オリンピック東京大会が終了するまで4年間はお預けということになりました。

馬事公苑の近所に住んで毎週のように中を散歩していた私どもとしては、2020年東京オリンピックを楽しみにしつつも、4年間のお預けはちょっと・・・・とぼやきたくなります。

        桜の馬場          人気blogランキングへ
           五輪準備で 
              閉鎖さる

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(2016/05/07(土) 06:54)

 伊豆の踊り子
伊豆の踊り子

 1929年(大正15年)に発表された川端康成の短編小説 『伊豆の踊り子』では、主人公 「私」 は伊豆中部天城山中の温泉町湯ヶ島から伊豆半島南端の下田を目指して歩きました。

湯ヶ島からしばらく歩いて峠道にさしかかったところで、主人公はにわか雨を避けて峠の茶屋に飛び込みました。その茶屋で前夜湯ヶ島の同じ宿にいた旅芸人の一行とまたいっしょになりました。

旅芸人一行より少し後に茶屋をでた私は、天城トンネルを通過して下田側に出てまもなく先を歩いていた旅芸人一行に追いつきました。
それから後、私は旅芸人の一行と次の温泉町湯ヶ野まで河津川の渓谷沿いの三里余りの山道をともにしました。
道中、私と踊り子は、次第にうちとけて話を交わすようになりました。

渓谷沿いに連なる河津七滝の一つ、上流から4つめの初景滝の前には、主人公「私」と踊り子の銅像がありました。私のほうは、小説にあるとおり一高の帽子をかぶり、紺飛白を着て袴をはいていました。
踊り子のほうも、小説に書かれているとおりに高島田でしょうか髪を高く結い上げ、腰に小さな太鼓をつけていました。
観光客の皆さんが、この銅像の前にきて流れ落ちる初景滝をバックに盛んに写真を撮りあっていました。

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           しばし休まん
              滝のまえ

「私」と踊り子が通った修善寺から旧天城トンネルを経由して渓谷沿いを下田に抜けるルートは、南伊豆と東海道本線をつなぐ重要な役割を果たしてきましたが、時代とともに限界が明らかになりました。
そこで、昭和45年 (1970年) に旧天城トンネルの東側に新天城トンネルが開削され、それに付随して近代的な道路が建設されました。

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(2016/05/03(火) 07:12)

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