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 作家有島武郎の情死
 新幹線軽井沢駅の北1.8kmほどのところに、このあたりでは有名な旧軽井沢交差点という場所があります。

その旧軽井沢交差点から北北西約2kmのところに、「旧三笠ホテル」 という歴史ある建物があります。昔は草津軽便鉄道の 「三笠駅」 というのがこのホテルのすぐ近くにあったということです。

三笠ホテルは、実業家山本直良によって明治38(1905)年にオープンされました。現在では三笠ホテルの建物は、明治の軽井沢を現代に伝える貴重な文化遺産として国の重要文化財に指定されています。

旧三笠ホテル

 ホテルの創立者山本直良氏の妻は、作家有島武郎の妹でした。山本氏自身も文学者や芸術家との交友が多かったので、このホテルには作家・文学者などが盛んに宿泊するようになりました。

前記のように作家有島武郎は当ホテルと縁が深く頻繁に訪れましたが、自分の別荘浄月庵もこのホテルの近くにあり、夏はその別荘に滞在することが多かったそうです。

有島武郎の妻は早く亡くなりましたが、その後武郎は中央公論社の記者波多野秋子と親しくなりました。やがて秋子の夫の介入するところとなり、疲れ果てた武郎は、大正12(1923)年6月、45歳のとき秋子とともに上記別荘浄月庵で情死を遂げました。

情死の少し前、武郎は次の短歌を詠んだそうです。

      世の常のわが恋ならば
        かくばかりおぞましき火に
          身ばや焼くべき     有島武郎

武郎には亡くなった前妻との間に3人の子供がありました。その長男が、後に俳優森雅之になりました。黒澤明監督の 《羅生門》 、林芙美子原作の 《浮雲》 などの作品に出演した俳優です。

有島武郎は情死の数年前に 『惜しみなく愛は奪ふ』 という評論を書いています。その評論と軽井沢情死事件とは関連が深いと受け取られ、世間で大いに騒がれたということです。

その別荘浄月庵は、現在ではカフェとなっています。にぎやかな軽井沢銀座からほんの20分ほど歩いたところにあるその建物は、情死から100年近い歳月を経て旧軽井沢の林間に静かにたたずんでいました。

別荘浄月庵の跡


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(2017/08/14(月) 11:58)

 薬師寺のしだれ桜
薬師寺

 京都駅から近鉄電車の急行に乗り、大和西大寺駅で天理の方向の各駅停車電車に乗り換えました。西ノ京駅で下車し、大和の里の田園を10分ほど歩いて薬師寺の門前に着きました。

薬師寺は奈良を代表する古刹の一つで、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して、680年に藤原京に建立を始めました。その後平城京への遷都に伴い、この大和の地に移転されました。

東の浄瑠璃浄土の仏様である薬師如来は、医王如来ともいわれ、応病与薬により私どもの健康を維持してくださっているとされます。天武天皇は、皇后の病の平癒を願い、この薬師様にすがったのです。

そのような縁起のためか、薬師寺は同じ時代の奈良大寺東大寺、法隆寺にも共通する荘厳の中に、どこか私どもが思わずすがりたくなるような優しさと華やかさを持っています。

私どもが訪れた数年前の3月末、寒さ厳しい大和の里にもようやく本格的な春が到来したようで、薬師寺の入口にはしだれ桜がやさしく咲き始めていました。

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           薬師の教え
              花会式(はなえしき)

薬師寺花会式(はなえしき)は、3月末から4月始めに薬師寺で行われる十種の造華を祀る法会(ほうえ)です。


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(2017/03/31(金) 06:50)

 菊と漱石
kiku22.jpg

 本12月9日は小説家夏目漱石の命日で、文学や俳句の世界ではこの日を 漱石忌 と呼びます。

かつて漱石の恋愛の対象であったとされる大塚楠緒子は、漱石の友人と結婚しました。その後、楠緒子は小説家を目指して漱石の弟子となりましたが、1910年11月9日に若くしてインフルエンザで亡くなりました。その楠緒子の葬式で、漱石は

        有る程の         人気blogランキングへ
           菊抛げ入れよ
              棺の中     夏目漱石

の名句を詠みました。それから6年経って、漱石自身も胃腸病に糖尿病を併発して49歳の若さでこの世を去りました。

自分を文壇に送り出してくれた師を突然失い、芥川龍之介は大変なショックを受けたようで、漱石一周忌のときに次の俳句を詠みました。

        人去つて         人気blogランキングへ
           むなしき菊や
              白き咲く    芥川龍之介

漱石先生の葬式のときは、白菊の季節であった。それから一年、またその季節になったが、白菊を見るにつけ漱石先生なき世のむなしさを感ずるばかりである、という句意です。


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(2016/12/09(金) 06:51)

 桜もみじ
桜もみじ

 東京は、落葉樹の多い大都市だと思います。その中でもとりわけ世田谷区は、落葉樹ケヤキが区樹に指定されており、桜の名所も多いので、春と秋には街の雰囲気がドラマチックに変わります。

私どもの身近に見かける落葉樹のうちで、秋の深まりをもっとも早く告げるのは、ケヤキだそうです。秋早くよりこずえからあざやかな黄色となり、やがて明るい褐色に変わって行きます。

ケヤキの葉が色づくのについで、イチョウの黄葉、桜の紅葉が始まります。桜の葉はまず10月の末ごろに黄色くなり、その後次第に赤く変わっていきます。従って、桜の紅葉は真紅にならず、華やかさを感じさせる明るい橙色になります。
緑の葉が直接あざやかな真紅となるかえでとは、対照的です。

上の写真は、東京・調布かいわいの最後の秘境ともいわれる NTT研修センター の構内で撮影しました。

冬もみじといえば、私は久保田万太郎が詠んだ次の俳句が大好きです。毎年秋が深くなると、この俳句をを思い出します。

        冬もみじ         人気blogランキングへ
           冬の光を
              集めけり    久保田万太郎

この俳句には、明るい紅葉となる桜もみじが似合うと思います。


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(2016/12/05(月) 06:39)

 林芙美子記念館
林芙美子

 作家として成功した林芙美子は、1941年に東京・新宿区落合の高台に土地を購入し、そこに純日本式の住居を建てました。
芙美子の死後、それが 「新宿区立林芙美子記念館」 となりましたが、11月下旬の一日、私どもはその記念館を訪ねました。

館内の資料室に行くと、上の写真左のポスターがありました。このいきいきとした女性が、芙美子の作品 『放浪記』 に出演した女優・森光子さんです。森さんは大阪でお笑いをしていたのが演劇界の帝王といわれた菊田一男の目に留まり、大抜擢で放浪記の主演となりました。

私どもがこの芙美子旧宅を訪れたとき、ダケカンバでしょうか庭の幹の白い大きな木が黄落のときを迎え、夕日に輝いていました。

芙美子には秋がよく似合います。かならずしも優れた文章家とはいえない芙美子の作品が読者の心を打つのは、人生のはかなさ、庶民生活の哀しさが行間から滲み出ているためでしょうか。

         黄落や       人気blogランキングへ
            芙美子の書斎に
               夕日映え

いまから4年前の2012年11月10日、女優森光子さんが92歳の生涯を終えられました。13歳のとき両親を相次いで失い、自身もたびたびの重病に倒れるという苦難を乗り越えつつ映画女優、歌手、テレビ・舞台出演など幅広い分野で活躍し、大きな業績を挙げました。

林芙美子さん、森光子さんのご冥福をお祈りいたします。


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(2016/12/01(木) 06:29)

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