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 卯波・仁右衛門島
卯波・仁右衛門島

 東京駅から特急ビューわかしおで2時間足らず、終点の安房鴨川に着きました。ここで外房線に乗り換え、隣の太海駅に行って俳人鈴木真砂女の名句「卯波」の舞台である仁右衛門島を目指します。

駅員に教えられた方向に10分ほど歩き、漁港沿いの道の角をまわると、急に行く手に小さな島が見えてきました。

島といっても、漁港の岸から100メートルぐらいしか離れていません。電力線が漁港から海をまたいで垂れ下がり、島の岸に立っている電柱までつながっています(^_^)

それでも、ともかくも漁港の岸とは離れているのでれっきとした島で、千葉県にあるたった一つの島だそうです。

漁港からは手漕ぎの小さな舟(上の写真)で島に渡ります。ほんの100メートルばかり行くだけなのに、料金は一人往復で1350円というのは少々お高いと思いましたが、この料金は仁右衛門島の観覧料がコミになっているのだそうです。

この渡し舟の船頭は、もと北海道で漁業をしていた漁師とのことでした。底の岩や海草がはっきり見える澄んだ水の上を櫓をこいで、ゆっくりと島に向かいます。

この島は房総地方の名勝なので、鴨川に生まれた真砂女は何度となくここを訪れているようです。初夏のころ、たまたま風の強い日に渡し舟でこの島に渡ったときのことでしょうか、真砂女の代表句となった次の作品が生まれました。

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        舟より高き
          卯波かな   鈴木真砂女


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(2019/06/09(日) 06:45)

 ドストエフスキー記念舘
ドストエフスキー 小説家フョードル・ドストエフスキーは27歳のとき帝政の打倒をはかる革命家集団に加わったということで逮捕され、シベリアに流刑に処されました。
38歳になってから、やっと政府に許されて首都サンクトペテルブルグに帰ってきました。
その後最初に書いた小説が、名作『罪と罰』だそうです。1859年のことで、日本では明治維新の8年ほど前、幕末動乱の時期にあたります。

 ドストエフスキーが亡くなるまでの最後の2年間をすごした家は、世界遺産ネフスキー大通りの東端南側にあり、現在ドストエフスキー記念舘となっています。

 小説『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、貧民から金品を巻き上げているあの質屋の婆さんから金を奪い、それで貧民のための施設をつくるほうが社会のためになる、という論理で、婆さんを斧で殺す犯行に及びました。

しかし、凶行をしたとき、たまたま婆さんの妹リザベータが外からその現場に帰ってきたので、勢いでそのリザベータも殺してしまいます。リザベータは、小説『罪と罰』の女主人公ソーニャの友達で、信仰心の篤いおとなしい女性でした。

この一件は、私ども読者にとっても実に悲惨で哀切きわまりありません。ラスコーリニコフにとっても自分の主義とは関係のない罪を犯したわけで、以降ラスコーリニコフの信念はぐらつき、深刻に悩むことになります。

小説のこのあたりは、ヨハネ福音書の「ラザロの復活」のくだりが引用され、重要な役割を果たしています。この作品が偉大な宗教小説であるといわれるのがわかります。

       聖書手に    人気blogランキングへ
         罪におののく      
           白夜かな

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(2019/06/05(水) 06:42)

 祇園白川の桜
祇園白川の桜

 今年3月の末、金閣寺に行ったかえり、東山区白川沿いの桜を訪ねました。白川は、京都市の東北比叡山に流れを発し、京祇園を流れて四条大橋近くで鴨川に合流します。

白川の流れは、昔から祇園に遊ぶ文人墨客に愛されてきましたが、特に歌人吉井勇の短歌により非常に有名となりました。

吉井勇は1886年生まれ、作家谷崎潤一郎とほぼ同時代の人です。やはりほぼ同年生まれの歌人若山牧水とともに、酒を愛した歌人として有名です。

祇園では、白川の岸辺にお茶屋が軒を並べて建っています。祇園のお茶屋で遊ぶことの多かった勇は、次の有名な短歌を残しました。

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       寝るときも
         枕の下を 水が流るる  吉井 勇

 白川にかかる祇園新橋のほとりに、この短歌の歌碑が置かれていました。横に長い褐色の素朴な碑石に、白い字で短歌が刻まれてありました。
毎年11月には「かにかくに祭」が行われ、芸妓さんや舞妓さんらがこの歌碑に献花をするそうです。

白川沿いにたくさんの桜が植えられていますが、春がやや遅い京都のこと、大多数の桜はまだほんの咲き始めでした。

歌碑の近くにはしだれ桜がありましたが、紅いつぼみがついたその枝が白川の流れの上に垂れ下がっていました。


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(2019/05/12(日) 07:07)

 雛あらば ・ 正岡子規
雛あらば 明治27年、当時27歳だった俳人 正岡子規 は上野の山に近い上根岸の貸屋に転居し、それを「子規庵」と名付けました。

生涯独身だった子規は、まもなく郷里愛媛県松山にいた母八重と妹律を東京に呼び寄せ、その子規庵で一緒に暮らしました。

子規の長い闘病生活の間、子規庵でこれら二人の女性が献身的に子規の世話をしたとのことです。

当然、子規は、女性の優しさを、身にしみて感じていたでしょう。

その子規に、次の俳句があります。ひな祭りのころ、子規庵の近所で女児たちが着飾って歩いているのを見て詠んだ句でしょうか。

     雛あらば
     娘あらばと
     思いけり   正岡子規

独身だった子規は、世間で雛を祝ってもらっている女児たちの愛らしさを見ておもわずこの俳句を詠んだのでしょう。

いかにも子規らしいたださらりと詠んだだけの率直な俳句ですが、なんという優しくまた瑞々しい句調でしょうか。女児の愛らしさ、いとおしさを知っている者すべての共感を呼んでやみません。


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(2019/03/05(火) 07:15)

 三四郎池 2月
三四郎池

 夏目漱石の小説『吾輩は猫である』で苦沙弥先生宅に集う多くの愛すべきキャラクタの中に、「水島寒月君」という人がいます。

小説中で寒月君は学問最高の府を一番で卒業した天下の秀才ということになっていますが、これは漱石の弟子でもあった物理学者 寺田寅彦 をモデルとしたといわれます。

寺田寅彦は実際に東京帝国大理科大学実験物理学科を首席で卒業し、その後ドイツ留学を経て東京帝国大学教授になりました。

後に漱石が書いた長編小説 『三四郎』では、主人公小川三四郎は、その熊本の五高を卒業して東大に入学するために上京しました。

小説『三四郎』では、三四郎が上京後まもなく市電に乗って東大に行ったと書かれています。三四郎は赤門を通って東大構内に入り、後に三四郎池と呼ばれるようになった池の周りを散歩しました。

旧加賀藩邸の庭園の池が東大に移管されて「ひょうたん池」と呼ばれていましたが、この小説に登場してからその池は「三四郎池」と呼ばれるようになりました。東大図書館の裏のがけを石段で下っていったところにあります。

寺田は熊本第五高等学校2年のとき、漱石が熊本で住んでいた家を訪問したのが縁で俳句の世界に入りました。寺田寅彦の俳句をひとつご紹介しましょう。

      椎の影       人気blogランキングへ
        蔽ひ尽して
          池寒し    寺田寅彦

 上掲の俳句には、「大学校内の池にて水の温度を測る」と前書が付いていました。東大構内の三四郎池で水際に行って厳寒時の水温を測定したのでしょうか。

三四郎池は大きな木々で囲まれたくぼ地にあり、厳寒のころは冷気がたまって池の水も凍ることがあります。日当たりの悪い池を覆う冷たい空気が感じまれる俳句です。


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(2019/02/17(日) 06:59)

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