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 平泉・中尊寺
中尊寺

 二十年も前のことになりますが、松尾芭蕉の 『奥の細道』 のルートをたどろうと思い立ちました。
東京・深川の芭蕉庵址から出発し、何年間かかけて千住大橋、草加、那須、黒羽町を歩き、さらに福島県・白河の関にも行きました。

次は、 『奥の細道』 前半のハイライトである奥州・松島と平泉・中尊寺をぜひ訪ねたいと思っていました。

その後なんどか旅行の計画を立てつつ、行きそびれていましたが、今回やっと中尊寺を訪れることができました。

東京駅から新幹線に乗って一ノ関まで行き、その駅前からバスで平泉の中尊寺に行きました。バスの停留所で降りると目の前に大きな山がそびえており、その山全体が中尊寺の境内になっているようです。

中尊寺は、12世紀初頭に奥州藤原氏によって創建されました。奥州藤原氏が滅びた後も源頼朝の庇護を得て隆盛し、本堂、金色堂など40もの堂宇が建ち並んでいたそうです。
しかし、1337年に野火が飛び火してそれらの堂宇は次々に猛火に包まれ、わずかに金色堂と経倉の一部が焼け残ったということです。

バス停の前にある入口の黒い門を通って境内に入ると、月見坂という広い参道が山の上に通じています。両側にそそり立つ杉の巨木を仰ぎ見ながら、その参道をゆっくりと登って行きました。

       参道の        人気blogランキングへ
          高きこずえに
             緑濃し

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(2017/06/15(木) 08:00)

 中尊寺・弁慶堂
波平 中尊寺の山門前に、「武蔵坊弁慶之墓」と刻まれた大きな楕円形の石碑がありました。

1189年6月15日、源頼朝の命を受けて、奥州藤原氏第4代藤原泰衡が高館の丘にあった源義経の館を急襲しました。

義経の手勢は主を守って応戦し、武蔵坊弁慶は衣川で立ち往生といわれる壮絶な討ち死を遂げました。

立ち往生した弁慶の遺骸を中尊寺が引き取って、この中尊寺門前に葬ったとのことです。石碑のそばには、松の大木が立っており、その下には 「弁慶標の松」 という掲示がしてありました。

石碑の横にあった説明板には、中尊寺の僧素鳥が詠んだものとして、次の俳句が記されてありました。

       色変えぬ        人気blogランキングへ
          松のあるじや
             武蔵坊   素鳥


弁慶堂

 中尊寺の入口から月見坂と呼ばれる参道を登って行くと、まもなく弁慶堂という時代のついたお堂があります(上の写真)。

お堂の中には、源義経と弁慶の木像をが安置されてあり、また、国宝の 「金銅剛孔雀文磬(けい)」 も置かれています。磬とは、僧が毎日の勤行のときに鳴らす仏具だそうです。

武蔵坊弁慶は、もと天台宗の総本山比叡山延暦寺の僧兵だったので、同じ天台宗の東北大本山である中尊寺がその遺骸を引き取り、境内にお堂を設けて供養したのでしょう。

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(2017/06/07(水) 07:29)

 京都 ・ 金閣寺
金閣寺

 京都の桜の名所平野神社でさまざまな桜を楽しんでから、そう遠くないところにある金閣寺に向かいました。
平野神社からバスで2停留所ぐらいということで、ぶらぶらと歩いてもいける距離ですが、せっかく京都市バスの一日券を買ったので、その元を取ろうとバスに乗っていきました(^_^)

金閣寺は、もともと足利三代将軍義満がつくった別邸でしたが、義満の死後、その子義持により禅寺とされ、義満の法号にちなんで 「鹿苑寺」 と呼ばれるようになったそうです。

三島由紀夫の小説で知られているように、金閣寺は太平洋戦争後の昭和25年に寺僧の放火により焼失しましたが、その後関係者の努力により昭和30年に再建されました。1994年には、金閣寺は古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

バス停のすぐ近くにある山門をくぐり、長い参道を歩き始めると、さすがに世界遺産らしい堂々たる寺格を感じます。
禅寺だからでしょうか、境内には桜の木がほとんどなく、かえでなどの落葉樹が多いようです。私どもがいった4月はじめには、それらの木々はまだあまり芽を吹いていませんでした。秋の紅葉のときは、さぞかし見事な景観になることでしょう。

参道をしばらく進むと、急に目の前が開け、大きな庭池の向こう岸に金色まばゆい三層の金閣が見えてきました。
大昔、修学旅行でここに来たはずなのですが、まったく記憶がなくなっていました。幸い快晴に恵まれ、鏡湖池という池のほとりにそびえるきらびやかな楼閣に目をうばわれて、ただ感嘆するのみでした。

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           金閣照らす
              春陽かな

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(2017/05/26(金) 06:45)

 京都の町屋
京都の町屋

 久しぶりに京都に旅行し、西本願寺、東本願寺を参拝したのち京都駅に向かって歩きました。京都駅の近く、東本願寺界隈には千年の歴史を感じさせる仏具店や古い町屋がたくさんあります。

それらを眺めながら歩いているうちに、道路沿いの家並みが途切れて駐車場になっているところに出ました。そこにきて駐車場側から見て、はじめて京都町屋の奥行きの長さがわかりました。
その家は間口は3間ほどしかありませんが、まさにうなぎの寝床のように、隣の広い駐車場と同じだけ奥に伸びていました。

上の写真でわかるように奥に向かって伸びる町屋の屋根が途中で一部低くなっていますが、その部分に坪庭が造られてあるのでしょうか。なにしろこの奥行きの長さですから、中央部に坪庭を設けて採光したり外気を取り入れたりしたくなるのでしょう。

商家の町屋の場合には、長い建物のもっとも奥に土蔵が置かれている例が多いということです。家の道路側正面からその奥の土蔵に向けて幅の狭い通路が設けられ、人の出入りや商品の出し入れができるようになっていました。そういうつくりを 「通り庭」 と呼ぶそうです。

このような坪庭を設けたつくりが京の町家にみられるようになったのは、桃山時代に茶の湯が流行したことに由来するということです。坪庭の側に茶室をつくり、坪庭の中にに四季の移ろいを感じながらゆったりと茶を楽しんだのでしょうか。

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           長き町屋の
              眠りおり


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(2017/05/18(木) 06:46)

 大阪城と桜
大阪城公園

 今年3月末に京都を訪れ、その後久しぶりに大阪に行きました。大阪では、初めて大阪城公園を訪れました。

大阪城は、大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡した際に焼失しましたが、後に徳川家によって再建されました。しかし、その大阪城の天守は、1665年に落雷によってこれまた焼失しました。

ほうぼうの城郭の歴史を調べると、このように落雷によって焼失した例が多いのに驚かされます。避雷針が発明されるまでは、城郭、特に天守閣にとって落雷が重大な脅威だったのです。

現在の天守は、大阪市民の寄付を財源として昭和6年(1931年)に完成したもので、外観は5層の城郭、内部は8階建のコンクリート造となっています。第4層の屋根には、巨大な金鯱が取り付けられています。

この天守のある大阪城跡を中心として、広大な大阪城公園が広がっています。大阪城公園内には桜が約4500本、梅が1250本も植えられており、大阪の代表的な花見どころとなっています。

今回の旅行で、京都はやはり少し寒いのか桜がほんの咲きはじめでしたが、ここ大阪城公園はソメイヨシノが四分咲きぐらいとなり、市民、観光客など多数の花見客でにぎわっていました。

公園から壮麗な天守を見上げると、桜の花の間から、第4層の屋根についている巨大な金鯱が春陽を受けて輝いているのが見えました。

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           花間に仰ぐ
              金の鯱


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(2017/04/24(月) 06:41)

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